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last updated 1997/08/05

第82話(全130話)

マリカのために! 早く!(3/3)




 フィンフィンはルビッシュたちを見た。ちいさな鳥たちは必死に少ない空気を求めて嘴をパ
クパクさせていた。深海魚たちも懸命に体を発光させ続けている。普段は微かな光を放てばじ
ゅうぶんなのに、いまは最大の光を発しているから、彼らもかなり苦痛を強いられているらし
い。フィンフィンはだから驚いたり、ためらったり、怯んだりしてはいられなかった。いま、
フィンフィンのテレパシー能力は、海に暮らす生き物たちすべての思いを、圧倒的な音量で感
知していた。
〈マリカのために! 早く!〉
 魚たちはそう言っていた。
 フィンフィンは激痛を走らせる尾を無理に振って、沈没船へと夢中で降りて行きはじめた。
傷の傷みはフィンフィンを制止するのではなく、逆に鞭のように追い立てているようだ。傷み
に尻を叩かれて、たとえば馬が全速力で走り、自分の限界を越えて行くのと同じだった。フィ
ンフィンにそんな鞭のひとふりを与えるために、スワングは尾っぽに傷を与えたのかもしれな
い。ちらりとフィンフィンはそう思った。この宇宙に偶然はない。それは、そういうことだっ
たのかもしれない。
 沈没船はやはり事故で沈んだようだった。たぶん、船内で火災が発生したのだろう。船内に
泳ぎ入ってみると、あちこちが煤けて燃え落ちている様子がわかる。壁紙は燃え爛れ、パイプ
や床や天井も黒ずんで煤けている。慌てて乗客や乗組員たちが逃げ出したらしく、海水の満ち
た船内には、洋服や皿や本や鞄が、さながら幽霊のように漂っていた。船の外に避難用ボート
は一艘も残っていなかったから、きっと全員、沈没前に脱出できたのだろう。(フィンフィン
はボートの有無を真っ先に確認していた。それがあれば筏よりもずっと安全にマリカやワータ
ーを運べると思ったからだ)。避難用ボートがないのは残念だったが、それでもそれは、ひと
つの明るい材料でもあった。つまりそれは、この船が廃棄船ではないことを示しているからだ
。きっと全乗組員が慌てて避難しただろう。避難用の食料や飲料水も持ち出しただろう。だが
、すべてひとつ残らず、持ち出すことができたろうか? いくつか積み残しがあっても当然じ
ゃないのか? 避難用の食料なり飲料水なりは持ち出したとしても、食堂にあった常備用のも
のは手をつけなかったんじゃないだろうか? 人間たちは缶詰という保存食をよく使う。そう
いうものがみつかれば、マリカを救えるだろう。缶詰なんてどこがおいしいのだろうと、よく
フィンフィンは思っていたのだけど、少なくとも缶詰の大半はたっぷりと水分を満たしている
ことは知っていた。
 そういう保存食がこの船の中にはあるんだ。だからこそルビッシュや深海魚たちはこの船へ
とぼくを案内したんだ。
 フィンフィンは確信を強めた。半信半疑で捜すよりも、確信を持って捜す時のほうが、ずっ
と行動がスピーディーになるし、大胆になる。本当にあるのかな? なんて考えながら捜すと
、ついつい上辺だけ眺めておしまいにしてしまう。けれど、あるんだ! と信じて捜すと、棚
をひとつ覗くにせよ、徹底的に隅から隅まで嘗めるように捜すことになる。フィンフィンは食
堂の位置を船内案内図を見て確認すると、真っ直ぐにそちらへ向かった。途中、毛布や衣類を
みつけると、それらを口にくわえ、体に巻き付けて運んだ。医薬品が大量にプカプカ漂ってい
たので、それが何のためのものかはわからないけど、とにかく集められる限り集めて毛布に包
み、運んで行くことにした。食堂に着くなり、フィンフィンは快哉の声を上げる。棚や倉庫の
扉がことごとく開いていて(まるでフィンフィンに向かって「さぁどうぞ、すべてお持ちくだ
さい、とニコニコ手招きしているみたいに)ゆらゆら揺れていた。求める缶詰やら瓶詰やらが
やはりニコニコとフィンフィンを手招きしていた。これならあと一年漂流したって食うには困
らないだろう。そんな大量の食べ物、飲み物がここにはあった。
 この真上の遥かでマリカがいままさに死に瀕しているのを考えると、まったく皮肉な話だっ
た。こんなにも豊富な食べ物が沈んでいるのに、上に浮いている者は飢餓と乾きに命を吸い取
られて行くなんて。誰にも手をつけられないまま朽ちて行こうとしている食料品と、求めても
塩水しか口にできない者との間に、道がつけられ、橋が架けられたら素敵なのに。そうしたら
、もっともっと世界は豊かになるはずなのに。
 思いながらフィンフィンは毛布をひろげ、そこに食べ物をできるだけたくさん乗せて積み上
げ、毛布の両端を包んで行く。もうこれで充分、と思えた時、毛布の包みは全部で七つになっ
ていた。この七つをひとつずつ運べばいい。最初のひとつで、とりあえずマリカの危機は救え
るだろうし、あとはゆっくりやればいい。フィンフィンはそう思い、ひとつを口に加えて船か
ら出た。
 ひとつだけ持って沈没船を後にしようとした時、深海魚たちか一斉に光を点滅させはじめた
。「ノー! 駄目だッ」
 そう言っているように見えた。
〈どうして? これ貰ってっちゃいけないの?〉
〈違う。全部、持って行け。ひとつ残らず、全部〉
〈無理だよ。とにかく早くひとつだけ届けて、それから後はゆっくり運ぼうと思うんだ〉
〈お前。陸地での暮らしが長過ぎた〉
〈え?〉
〈だから海の表情、みつめる力、なくしてる〉
〈どういうこと?〉
〈また海が荒れる〉
〈えッ〉
〈今度荒れたら、この船、もうここにない〉
〈どうして?〉
 深海魚たちの光が、さながらサーチライトのようにひとつに集まり、沈没船の下のほうへと
向けられた。いままで闇に沈んでいた辺りが明るく照らされる。
〈あ〉
 フィンフィンは声を上げた。
 沈没船は傾いて砂に埋まっているのではなかった。それはさらに深い海の底へと、いままさ
に落ち込んで行こうとしていた。海溝の断崖の上に、かろうじてひっかかっているだけなのが
わかった。
〈お前、いま、全部、運ぶ。次はない〉
〈でも、全部なんて無理だよ〉
〈お前、運べる〉
〈だって、ぼく怪我してるし〉
〈この船、食べ物じゃないものも、積んでる〉
〈え?〉
 再び深海魚たちのサーチライトが移動した。それは沈没船の倉庫室のあたりを照らしている
ようだった。フィンフィンはそれをみつめ、そして毛布の包みをくわえたまま、もう一度、沈
没船へと引き返して行く。何があるのだろう? フィンフィンにはわからなかった。けれどま
た海が荒れるのだとしたら、ただ食料だけ持ち帰っても、どうせ風と波のおやつになってしま
うだけだ。だから、それが何であるにせよ、深海魚たちの示すものが、嵐から食べ物とマリカ
たちを守ってくれるものであって欲しいと祈った。

(つづく)




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